昭和天皇の拝謁記に感銘す
NHKで8/16(金)にて放送され、この記録については以後も公開されると思われるので、この記事も改訂します。また、私はテレビやサイトから得た情報の中で「最低限必要なポイントの抜粋」なので、本編はNHKサイトでご確認ください。また、この記事の言葉は「私の現代風の言葉です」。ニュアンス(主旨)を感じて下さい。
昭和天皇「拝謁記」 戦争への悔恨 NHK
https://www3.nhk.or.jp/news/special/emperor-showa/
■拝謁記とは
初代宮内庁長官 田島道治が昭和天皇との対話を詳細に書き残したもの
■張作霖(ちょうさくりん)爆殺事件(wikipedia)
日本の陸軍が中国の軍系派閥の指導者を暗殺した事件。
昭和天皇は「この事件の時、首謀者を厳罰にすべきだった。厳罰にしなかったことで綱紀粛正がゆるみ、のちの敗戦へとつながった、そもそもの発端」とご反省。
■下剋上
「日本の陸軍が増大している、これは下剋上である」「あの時に下剋上を止めていれば、こんなことには」と陛下は後悔の念を持たれていた。「総理を変える」という手段もあった。
そして、東条なら陸軍を抑制できるだろうと思って内閣を作らせたが、結果は「見込み違いだったし、最早手遅れだった」。
■吉田茂首相によって削られたお言葉
「昭和27年5月3日のサンフランシスコ平和条約発効の記念式典のおことば」として
国民に述べる機会があり、後悔と反省のお言葉「人命を失い、国土を縮め、悔恨悲痛」といった文言を陛下は内容に加えるおつもりだったが、吉田茂首相に素案を見せたところ「過去の戦争の反省のお言葉は省いて下さい」と言われ、
陛下は侍従を通じて数回、文言を加えたいと首相に言ったが受け入れられず、最終的には「国民の代表である首相が言うのだから、仕方がない」として、省くことをしぶしぶ承諾された。
吉田首相の考えは「過去のことよりも、未来を見て進む」ということを陛下に言って欲しかったらしい。
■南京事件
陛下の耳に、この事件のことはある程度は知っていてが周囲の者が報告していなかっために詳細は知らなかった模様。「市ヶ谷の裁判(東京裁判)で公になり、事の大きさを初めて知った」と記されていたとのこと
■歴史年表
1928(昭和3年) 張作霖爆殺事件
1931(昭和6年) 満州事変
1932(昭和7年) 五・一五事件
1936(昭和11年) 二・二六事件
1937(昭和12年) 日中戦争
1941(昭和16年) 太平洋戦争
1945(昭和20年) ポツダム宣言受諾
1947(昭和22年) 日本国憲法施行
1952(昭和27年) サンフランシスコ平和条約発効