中川祐子さん(フリーアナ)、高橋ジョージさん、大林素子さん、KINYAさん(タレント)
抜粋
・1994年斉藤和義さんの「歩いて帰ろう」の歌詞穴埋め問題
Q.1969年から始まったドラマ「水戸黄門」、弥七の異名は?
A.風車の弥七
・水戸黄門といえば、由美かおるさん。由美さんのバックダンサーだった、KINYAさん、「42歳なのに」ということを言いつつ、ネームプレートを見て最年長だと気づく
Q.1968年 アタックNo.1の鮎原こずえと早川みどりの連携技は?
A.電光スパイク
大林素子さん「アニメを見て、鮎原こずえになろうと思った」
Q.1973年 金曜10時うわさのチャンネルでゲストに「四の字固め」をしていたレスラーの名前は?
A. ザ・デストロイヤー
・高橋ジョージさん、「舘ひろしのバンドの前座をしていたことがある」
・中川さん、曲名で「釣った魚ナウ」って。
3/28は的場浩司さんの誕生日、出演映画はビー●ハイスクルール カップ、バップ(答え)、ヒップ、ヒップアタック
岡田MC「ヒップアタックはFUJIWARAさんとかがネタされています」
ヨシコさん「ヒップアタックってプロレス技ですが、痛いんですか?」
岡田MC「馬場さんの河津掛け(落とし)は痛いんですか?みたいな質問はやめて下さい」
その他
・女性陣に優しかった高橋ジョージさん
・パッケージの600Wの時間だとぬるい話、靴のサイズがメーカーによって違う話、共感できる。
・スーパーボウルのハーフタイムに出たいフリーアナとか、KINYAさんの衣装とか、大林ひょっとこさん(オジンオズボーン篠宮さん)とか、冒頭から情報量が多い
Q. 1990年代有名一家 当時話題になった落合一家。落合博満さんの息子さんの名前は?
A.ふくし君
KINYAさん、落合福嗣さんのデビュー曲をプロデュースしていたそう
Q.1976年 萩本欽一さんのサクラカラーのCM「どっちかなー、こっちがポロっと落ちる。これが残って●みよう」
A.ドーンと撮ってみよう
・1977年 西城秀樹さんの「ボタンを外せ」歌詞穴埋め問題
秀樹さんのファンで、子供の頃は「秀樹さんのお嫁さんになる」つもりだった。
・高橋ジョージさん、日本テレビの「西遊記」でエキストラのバイト。孫悟空の分身の術で現れる猿20人のうちの一人だった。ただ、途中でトイレに行って帰ってきたら撤収していた。その時は、お金を持っていなかったので、サルの衣装のまま6時間歩いて帰った。バンドが売れていなかったので、エキストラは良いバイトだった。
・KINYAさん。デビュー曲「涙のデイト」は作詞作曲は竹内まりやさん。バックバンドは布袋寅泰さん、山下達郎さんらだったが、売れなかった。アンルイスさんとも接点あり
よめきんトリオ wikipediaより 「いいとも木曜レギュラーの松金よね子の“よ”、渡辺めぐみの“め”、KINYAの“きん”を取ったもの」
・高橋ジョージさん「音楽の印税って3か月に一回振り込まれていて、毎回50万円ずつ下ろしても残高の2千万円が一向に減らないから、試しに1日で3回連続下ろしたら紙幣がなくなったのか取引停止になって「あれ?俺、捕まるの」と思っていたら備え付けの電話が鳴って、『今日、おいくらご入用ですか?』という銀行員からの電話だった。その時の残高が?億・・・」
岡田MC「笛ピ、ピ・・ちょっと待って」
私見→金銭感覚は違うかもしれない。名曲「ロード」はご自身が作詞作曲だからか。
3/29は野沢直子さんの誕生日、出演番組●で逢えたら 夢(答え)、亀、雨、雨の御堂筋
岡田MC「ますだと二人で新御堂筋のGSでバイトの面接を受け合格したが、帰路で冬は寒そうと思ったので、『東京の進出が決まった』というウソの断りの電話を入れた。すみませんでした」