大半は「乙女の碑のwikipedia 」からの引用です
この件を知ったきっかけは「8/16放送の報道ステーション」です。
概要は
満州国に国策として送り込まれた「日本人の団体」の一つ、黒川開拓団に所属した女性らが同じ仲間である日本人から性接待として外人兵に提供された話です。
2013年頃まで公にされることはなかったため、知っている人がほとんどいなかった模様です。
Q.なぜ、そうなったのか?
A.岐阜県黒川村(現、白川村)の住民が中国に渡っていたが、敗戦。それとともにソ連兵や中国兵が暴徒化し、日本人が多く住む地域に押し寄せ、虐殺や強奪の危機に。
黒川開拓団は奇策として「仲間の少女をソ連兵に提供する代わりに、開拓団を守ってもらう」ことにした。しかし、少女らはお酒の接待程度と思っていた。
Q.なぜ、今頃
A.碑自体は1982年に建立。その碑の詳細は当時、伏せられていた。
(テレビからですが)開拓団の子孫が2012年にその事実を知り、乙女の碑のそばに「碑文」として、この史実を掲載したいと思い、村人に交渉。当の村人たちは「知っているだけ伏せていた」だけに交渉は難航したものの、2018年、碑文として残すことができマスコミに。
被害者の女性(90代)の方がテレビのインタビューで「当時は本当につらかった。当番制で1日に4人相手をさせられた。それでも、みんなで手を握りながら堪えた。しかも日本に帰ってきても、そのことを話てはいけない空気だった。でも、碑文として残してくれた。そういう歴史が事実としてあったことを伝えて欲しい。だから碑文ができたことは嬉しかった」
また、同じ映像で洗浄係だった女性が「毎日、彼女らの性器をホースで丁寧に掃除した。ソ連軍のうがい薬を薄めて」
詳しくは前述のwikipediaをご覧下さい